156センチの視線

12月29日「主にあって変化する」

 今年一年、たくさんの受洗者、帰天者、結婚式、諸行事、そして外に出かけていくこと。一つひとつが宝物のようで、順位付けすることができません。その時々に、神の大いなるみわざを拝することになりました。
 それぞれの出来事に共通していることがあります。それは、「神は生きておられる」ということを体験的に知ることができたということです。
 車に乗りながら、雲間に見える青空を見ていると、主が語ってくださいました。「あなた自身の変化を考えてみなさい。」
 アブラハムが、モーセが、イスラエルの民が、そして主の弟子たちがそうだったように、私もよちよち歩きの信仰でスタートしました。聖書の言葉を力強く語ることができず、自信を失う日々。御言葉についての知識もなく、神についての体験もなく、あったのは聖霊を体験した救いの日の証しだけでした。ただひたすら、目の前に与えられる事柄をクリアすることだけに終止し、気づいたら今がありました。
 「主とともに歩もう」という決意は今、「主はそれでもともにいてくださる」という信仰へと変えられました。私の努力如何に関わらず、主はいつでも私と一緒にいてくださる。何という平安でしょうか。
 多くの出来事を通して、変えられたのは私でした。