宣教

9月6日「委ねられた権威」

マルコ2:1〜12
 4人の人たちが1人の中風の人を助けるため、大胆な行動に出る。この聖書の箇所はいろいろなことを教えてくれます。
 まず、この1人の病人はどんな人だったのでしょうか。何としてでも助けたいと思われる人だったのでしょうか。もし、そうだとすれば、この病人のように、人から慕われる人になりましょう。というような、薄っぺらい自己啓発にとどまるでしょう。しかし、主イエスは連れてこられた病人ではなく、この4人の人たちの信仰を問題とされました。良い人のために力を尽くそうと思うのは当たり前です。しかし仮に、そうではない人のために本気になるのは、信仰が与えられていなければ難しいものです。4人は、信仰によって愛と大胆さとを与えられていた人たちのようです。
 信仰によって与えられる愛は、様々な障害を乗り越えていく力になります。群衆という名の障害を乗り越えるため、屋根を剥がすという大胆な発想に導かれたのは、この人たちの信仰です。
 主は、良い人のためではなく、病人のために来られたのだと宣言しています。主は罪人のため、ご自身のすべてを差し出された方です。そして、十字架というありえない障害さえも、乗り越えていかれたのです。