156センチの視線
3月14日「わたしらしさ」
まだ、たくさんの雪は残っているものの、牧師室の窓からは、自動車教習場で練習している車が見えるようになりました。春が窓を通して全身を覆います。高校を卒業した社会人1年生が講習を受けているのでしょうか?いつもよりたくさんの車がコースを走っています。
24節気の「啓蟄」(冬眠していた虫たちが姿を現す)のこの季、温かな日差しを浴び、心が弾みます。後期高齢者の今も、「自分が、自分が」の「スケベ根性」丸出しの自分に気付かされ、後ろめたさを感じながらの日々です。人は年齢を重ねるだけでは成長できません。春の日差しを浴びながらも軋む心を持て余す中、「瞬きの詩人、水野源三」さんの『生きる』の詩を思い出しました。
「神さまの大きな御手の中で かたつむりは
かたつむりらしく歩み 蛍草は蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き 神さまの大きな御手の中で 私は私らしく生きる 」
わたしの「わたしらしさ」とは何なのだろうか?とあらためて問い直してみます。誇ることのできる何ものもない… そのわたしを生かし担ってくださっているお方がおられる!わたしが私であることを喜ぶ、今なお、永遠の課題の中です。