156センチの視線

4月18日「迫害の中で」

 今週は教会総会がもたれます。新しい年度に主が何をしてくださるのか、期待でいっぱいです。
 その一方で、コロナウィルスの影響によって、教会内のクラスターが発生し、そのことに知事が発言したことが話題となっています。どうやら「讃美歌を大声で歌っている」ことに注目しているようです。教会では愛餐という飲食店のような要素、賛美によるカラオケ店のような要素、講壇からのメッセージを受け取る劇場のような要素があるでしょうか。緊急事態宣言の中、時短営業や臨時休館せざるを得なくなった施設や店舗と同じ扱いになるかもしれません。
 かつて、迫害の中にあった初期キリスト教の共同体は、賛美ができず、大人数で集まれず、信徒を装って内部に潜入し、何をやっているか探りに入るスパイがいました。コロナ禍において、このような事態が来ないとも言い切れません。教会は、この先を見据えて、どのように礼拝をささげていくべきかを議論する必要があるでしょう。
 今回の総会では、そのことを皆様と考えてみたいと願っております。一見、ネガティブな要素に見えますが、迫害のゆえに宣教の働きが前進した、かつての教会の姿を思い描きながら、主を礼拝し続ける共同体として、知恵をいただきたいと願っています。