156センチの視線

7月24日「神の家族」

 当たり前のことですが、ひとり暮らしをしている時、家に帰っても誰もいませんでした。一応、誰に伝えるでもなく、「ただいま」と声に出したりしていましたが、虚しく響くだけでした。
 神学校で学んでいる時は学校の近くに住んでいたこともあり、誰かしらが家を訪ねてくれたり、泊まってくれたりして、寂しくありませんでした。しかし、神を信じ、主イエスがいつも共にいると知ってからも、独りで家にいる時、フッと寂しさや虚しさが込みあげてくる時がありました。
 現在、愛する家族といつも一緒にいますが、家族が浪岡に行って、私だけが弘前に残る時、夜に独りで家にいると、いつもは騒がしい家がガランとして、静かなことに違和感を感じ、浪岡から届くLINEの楽しそうな写真や動画などを見ると、余計に寂しさがつのり、「さっさと寝よう」となるのです。
 最近、私たちの教会でも「神の家族」や「チーム」という言葉が多く聞かれるようになりました。血の繋がりはとても大切ですが、それが絶対ではなく、血縁を超えた家族のあり方を主は示されました。
 多くの人が祈ってくださり、多くの方のために祈れる。夜、布団の中でたくさんの顔を思い浮かべながら眠ることができるのは恵みだな、と感じる今日このごろです。 牛山