宣教

12月4日「希望の源」

ローマ15:1~6
 希望は聖書に記された神の言葉が与えてくれる重要な要素です。私たちは信仰と希望、そして愛によって生かされています。
 しかし、なんと聖書で一番最初に希望という言葉が出てくる時、それは「希望はありません」と言う言葉です。なぜ、希望はないと聖書は語るのでしょうか。
 希望はありません、という言葉と同時に記されているのは、人生は影のようだ、という言葉です。つまり、この地上で影のように伸びたり縮んだり、出たり消えたりする地上の出来事に希望を見出すことは困難だという現実です。
 聖書における希望とは、「将来につながる確かな糸」という意味があります。私たちの将来はどうでしょう。あれも、これもと直近の未来を思い描くと同時に、この地上における将来に、誰しも迎えるのは死という得体の知れないものです。
 しかし、主イエスはこの得体の知れないものを、知ることのできるように、ただ一度、地上に描き出しました。それが復活の命に生きるということです。
 神が聖書を通して将来を約束してくれます。それは、移ろいゆく現象にではなく、確かなものに希望を置くことができるように、です。