宣教
2月26日「神の栄光に照らされて」
マタイ5:13~16
主イエスの周りには、病気の人々、貧しい人々、神について誤った理解を持つ人々がいました。人間的に見れば、あまり役に立ちそうもありません。しかし、主はそんな人々を前におっしゃいました。「あなた方は地の塩、世の光である。」と。
この地上にはあなたが必要不可欠であり、あなたの輝きが求められているというのです。しかし、それはあなたが単体で何でもできる、ということを意味しません。塩気を創造した方、光なる方があなたの主だからです。
主がぶどうの木で、人がその枝である、とおっしゃる主が、「私を離れていては、あなたがたは何もできない」と教えられたように、私たちが地を清めるために、また輝ける人生を歩むためには、まず清められ、光を照射していただく必要があるということです。
しかし、その方から離れている時、私たちは自分が清い存在であるということ、輝いていることを忘れてしまいます。主は、こうしたら清い、ああしたら輝く、とはおっしゃいませんでした。
すべての人々を前に、おっしゃったのです。そのままで清く、そのままで輝いているのだ、と。
あなたはその方の視線のうちにいるのです。