156センチの視線

7月2日「神なき世界」

 先月の刑務所教誨で、ある方がおっしゃいました。「先生、俺はキリスト教や聖書を学んで何か足しになればと思ってここに来ました。でも、生き方を変えることはできません。」その方は今月、教誨に参加していませんでした。出所されたわけではないことは知っています。
 キリストに従う決断を促す時、このようなことは起こるべくして起こるのでしょう。十字架のキリストを主と告白し、王の王として従うのは決してすんなりと受け入れられるものではありません。まして、それまでの生き方を根底から覆してしまうほどのパワーを持つ福音は、人を魂を揺り動かします。人によっては、拒否することもあるでしょう。
 しかし、幸いなことに、残った方々はそれでも主に従うことを決めた人たちだということが分かります。他人に流されずに踏みとどまったからです。
 普段から熱心に聖書を読んでいる方が言いました。「先生、俺は天国に行きたいし、イエス様を信じればいけると信じています。でも、もし信じなければどうなるかも知っておきたいんです。」
 他の人たちも頷きました。神なき世界、地獄とはどのようなものか。知ることで救いの喜びが増すことを期待します。  牛山