156センチの視線

10月1日「輝く姿」

 先週、刑務所教誨に行くと、職員の方が「先生、お願いがあるんですが…」と近づいてきました。「先生のクラスに、どうしても洗礼を受けたいと申している者がいまして」
 とても嬉しい話でしたが、「外に出てから洗礼を受けるように、と助言していただけないでしょうか」というのが職員さんの、というよりも所内の要請といったところだったのでしょう。
 以前、教誨師会の冊子「ひとやの友」に掲載していただいた私の記事にあったように、以前の私であれば「すぐにでも受洗だ!」となっていたかもしれません。そのことで刑務所との関係は良くない方向に行っていたかもしれませんし、私が青森刑務所内ではじめて洗礼式を司式した牧師になるという名誉欲に支配されていたことでしょう。しかし、神の家族とともに歩むことの継続性と関係性の大切さを主に教えていただいた今、職員さんの願いを受け入れるのは容易いことでした。そのことを受けて、死刑囚でもない方々は、外で教会の共同体の一員になることの喜びを伝えつつ、洗礼を受ける素晴らしさを説明させていただきました。
 クラスが終わり、外に出ようとすると、教室の後ろで見守っていた職員さんがおっしゃいました。「先生のクラスのみなさんは、顔が違いますね。」もちろん、ヤクザで顔つきが悪いということではありませんよ!  牛山