宣教

10月22日「あなたはどこにいますか?」

ルカ15:11~32
 主イエスが語られた放蕩息子のたとえ話は、神と人の姿が分かりやすく説明された傑作です。人がどのような状態にあるか、それに対して神の態度はどうか、また、兄という存在を通して、すでに福音にあずかっている人々への眼差しも欠くことはありません。
 そして、このたとえ話には、人の霊的段階を指し示す指標としても読むことができる、というもう一つの側面があるのです。
 神の国から離れた人間が自己中心的に生きる姿。そして、困難の中で我に返る姿。また、ファリサイ派のような熱心さと努力の塊のような人々の姿。全編を通して、神を連想させる父親の姿。
 これらの姿には、人間の霊的段階が示されています。栄光から栄光へ、聖霊が導く最終的なステップは、父親の姿です。
 私たちは今、どの霊的ステップにいるのか。そこでは何が必要なのか。主イエスは、このたとえ話を単なる救いの話にとどまらせず、日々のクリスチャンライフにおける自己の客観視にも用いることができるような味付けをされていたようです。
 主はおっしゃいます。「あなたはどこにいるのか。」
そこが主と出会う場所です。