宣教

12月24日「素晴らしい幸せの訪れ」

ルカ2:1~7
 この世界に、誰も不幸になりたいと願う人はいないでしょう。そして、多くの人々が幸せを求めて、平安を求めて、それがどこにあるのかと探し続けています。
 主イエスが誕生された日も、同じでした。しかし、人々は扉をノックする音が、幸せの訪れである、とは考えもしませんでした。なぜなら、そこにいたのは貧しい十代の若者であり、妊娠中であり、親族がいるはずなのに泊まるところを探している不審者だったからです。
 神はそのような生誕のあり方を通して、主ご自身が味わってこられた疎外感、孤独感をこの地上に描き出したのです。神はいつも、人々から「いない」「いらない」と言われ続けてきた方だからです。
 ひっそりと祝われた世界初のクリスマスは、やがて世界中で祝われるものとなりました。クリスマスを祝うことが義務付けられているわけではありません。祝いたいと願う人々が起こされ続けてきたのです。それはなぜでしょうか。
 彼らは閉じられた扉を主の誕生のために開け放ち、自分の人生に迎え入れ、共に歩んだ人たちでした。その結果、彼らが想像もしなかったであろう、幸せをその手にすることになっていったのです。