宣教

3月24日「主がお入用です」

 マルコ11:1~11
 主イエスは最大級の賛美をもってエルサレムに迎えられました。その姿は約束されていた王の王そのものでした。人々は信じていたものが実現した喜びに満ち溢れていたようです。その主を運んでいたのは、未だ荷物を運んだことのない子ろばでした。
 子ろばは「向こうの村」につながれていました。主はそこに弟子たちを派遣し、子ろばを解き放ち、ご自身のご計画に用いられたのです。初めて主の仕事を担い、人々から歓迎され、喜ばれる主のことを、自分自身の手柄のように感じたことでしょう。そして、役目を終えると、再び「向こうの村」に戻されました。
 子ろばの姿は信仰者の姿と重なるものです。先に信じた人々との出会いがあり、主の御言葉による奇跡と解放を体験し、神の国に参加して喜びにあふれ、置かれた場所で咲く。何よりも、子ろばとは力なき象徴です。能力があるから、主が用いられるのではありません。主が用いたいから、能力が与えられるのです。
 王の王とは、この地上の時限的な国を導くものだと信じ、それが実現したと喜んでいる人たちの顔から笑みが失せるまでに1週間もかかりませんでした。
 主はあなたの思いを遥かに超えて、あなたを用い、永遠のみ国のわざへと招かれているのです。