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7月14日「5匹の鯛」

 わたしたちの心には、たくさんの「~してもらいたい!」の叫びがあることに気づきます。以前、わたしたちの心の生け簀(いけす)には、「5匹の鯛」が飼ってあり、暴れまわっていると書いたことがあります。その鯛とは。①「関心をもっ …続きを読む

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7月7日「本質をもっと」

 男鹿教会では、来る秋田コーチングに向けて、まだ初期キリスト教会の7つの本質について、聞いたことがない方々がいらっしゃるということで、「関係」「参加」「能力付与」「イエス中心」「伝道と増殖」「ネットワーク」「適応可能な構 …続きを読む

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6月30日「役員会から」

今月より、最終週には前回の役員会で議論されたことと次回の議題を掲載し、皆様からのご意見やご質問、ご提案を受け付けることにいたしました。 ※役員会で取り上げてほしい議題、ご意見、ご質問などがありましたら、役員までお知らせく …続きを読む

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6月23日「しかしの後に」

 「だから大丈夫」これが聖書の根幹だと、日々気付かされている今日このごろです。  聖書には「しかし」という言葉がとても良く出てきますが、その「しかし」という接続詞に挟まれている前の文章は苦難や試練であり、後に続くのは主の …続きを読む

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6月16日「パワー!」

 アデノウィルスに続く、偽痛風?の影響もあって、しばらく筋トレを休んでいました。もちろん、筋トレと言っても、なかやまきんに君が教えてくれた「世界一楽な筋トレ10分」という、いかにも私が喜びそうなネーミングのものですが。 …続きを読む

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6月9日「黄金律」

 「黄金律」と言われる言葉があります。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7:12)のイエス様の言葉がそれです。  わたしたちは、「こうしてもらえたら! …続きを読む

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6月2日「孤独に打ち勝つ」

 先日、NHKで高齢者の孤独が取り上げられていました。孤食を防ぐために、企業が新しく立ち上げられ、サービスを利用する会員みんなでご飯を食べる機会を設けたり、高齢者とテレビ電話でつなぎ、一緒に御飯を食べることなどが放映され …続きを読む

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5月26日「確かなビジョン」

 先週は、小枝役員と一緒に奥羽教区総会に出席しました。コロナの影響を受けて、教区内の新任教師が赴任されても、ご挨拶もできずにいましたが、お一人おひとりにお会いすることができて感謝でした。  この数年で、多くの教師が異動し …続きを読む

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5月19日「ネットワーキング」

 先週、全国の教会の中から、初代教会の本質を握っておられる牧師や宣教師、さらに他の地域にその価値観を拡大している方々が小樽に集いました。  今回は、「ネットワーク」について語り合う機会となりました。JCMNの集まりでは、 …続きを読む

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5月12日「神のなかに」

暑くなったり肌寒くなったりと、落ち着かない日々ですが、木々は、初々しい若葉が嬉しそうにそよいでいます。庭のプルーンの花も散りました。今年もたくさんの実を実らせ、皆に喜んでもらえることでしょう。柿の木の若葉も、それは優しく …続きを読む

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5月5日「神の家族」

 先週の礼拝にはオンラインで参加しました。というのも、息子と私がアディノウィルスに感染したからです。  当初、聖愛中高の入学記念礼拝が予定されていましたが、それも延期となり、また突然の予定変更に、賛美礼拝の司会を担う姉妹 …続きを読む

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4月28日「仕える道へ」

 過去2000年の教会の歴史を見てみると、大きな大聖堂を建てた、誰が教皇になった、どんな会議をして教義が確立した、といったことよりも、むしろどんな人々に、どのように仕えていったのか、が重要なこととして遺されているように思 …続きを読む

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4月21日「与えられるビジョン」

 今年度の教会総会をもって、新たな年度がスタートします。創立50周年記念礼拝では、100名を超える方々と共に、主なる神の御言葉による約束が真実であったことを確認し、励まされました。  続いて、ケニア、フィンランドから主の …続きを読む

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4月14日「生まれて初めて」

 先週の金曜日には、生まれて初めての経験をしました。何かというと、義塾の朝礼拝で、娘を前にして聖書のメッセージを語った、ということです。  教会では経験済みですが、場所と状況が変われば、ドキドキするものです。もちろん、教 …続きを読む

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4月7日「インマヌエル、アーメン」

このような時を迎えることが出来るとは、思いも及びませんでした。主の御手である「鷲の翼」(出エジ19:4)によって運ばれ、ここに至ったとしか言いようがありません。 「御手の中ですべては変わる賛美に、御手の中ですべては変わる …続きを読む

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3月31日「聖書の神秘」

 先週の受難週は、早天祈祷会をもちました。これまでは、十字架上で発せられた主イエスの7つの言葉を5つ選んで分かち合っていました。しかし、今回は十字架までの歩みを一つずつ選んで、エルサレム入城から金曜日の十字架に至るまでの …続きを読む

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3月24日「主の涙」

 先週の火曜日、娘の卒業式に参列しました。ほとんどの女子が袴を着ていて、男子はスーツ姿でした。私たちの時代は、男子も女子もダボダボの中学の制服が多かったように思います。時代が変わったことを目に見えて感じるときでした。   …続きを読む

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3月17日「子どもたちの姿」

 先週の教会に、とてつもない数の小学生が保護者の方々と訪れてくださいました。私はJCMNのミーティング中だったのですが、部屋の外はまるで小学校の校舎のように、にぎやかでした。  とても不思議に思うのですが、小学校の校舎や …続きを読む

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3月10日「この身を読む」

 「弘前西教会 創立50周年」を目前にして、床に入っても眠れない、眠ってもすぐに覚醒してしまいます。そんな中で、今日までの50年のみならず、主の今日までの守りと、皆の祈り、自らの御心にかなわぬ歩みを繰り返し覚え、浅き眠り …続きを読む

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3月3日「新たな道へ」

 先週の金曜日、東奥義塾の卒業式に行ってきました。今年はグループワークを多くしたこともあって、卒業生のお一人おひとりが名前を呼ばれ、壇上に上がっていく姿がいつも以上に愛おしく思えました。  宗教主事のお祈りは心がこもって …続きを読む

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