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2月11日「始まりのとき」

 日々の生活の中で、「わたしは何をしているのだろう?」「わたしのしていることは意味があるのだろうか?」そして、「生きがいが見つからない!」という、魂の叫びが心の中をのたうち回ることはないでしょうか。  「わたしがお前の傍 …続きを読む

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2月4日「主を喜ぶ」

 先週、ジョイフルの集まりに呼んでいただきました。月に一度、聖書の御言葉に触れたいというお願いをしてくださったからです。そこで、今回は7つの本質から「関係」を分かち合いました。  1月21日の礼拝で、Sさんが聖書の御言葉 …続きを読む

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1月28日「主に拍手を」

 先週の刑務所教誨では、御言葉によって人生を建て上げることを一緒に分かち合いました。多種多様な方々がいますが、共通しているのは「今度こそ、やり直そう」という気持ちです。  今までと同じやり方をしても、いや、ちょっと変えた …続きを読む

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1月21日「関係の深化」

 今年度から、東奥義塾の聖書科は、定期試験がなくなりました。これまで、生徒一人ひとりの個性が分かるまでに多くの時間を必要とし、非常勤の身では、3学期になってようやく顔と名前が一致するような状態でした。  今回、試験がない …続きを読む

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1月14日「愛がなければ」

 「腐った百合のにおいは雑草よりひどい」という言葉があると聞きます。全くその通りであることを様々な事象を通して考えさせられています。幼い頃、両親、姉たちと妹と家族6人でお盆にお墓参りをしました。その時、以前、お墓参りをし …続きを読む

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1月7日「みんなで共に」

 12月28日、青森市のジョイフルチャペルにおいて、青森ゴスペル・セレブレーション・ネットワークの久々の会合がクリスマス祝会という形で行われました。 それぞれの一年間を、教会として、個人として振り返る時間の中で、主がいか …続きを読む

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12月31日「教会は楽しい」

 先週の25日、子どもたちとそのお母さんたちが集まって、小さな集会をしました。明星幼稚園で仲良くなった方々と、久しぶりに再会することができたのです。  子どもたちは元気に教会中を1階、2階と走り回り、慣れた様子で遊んでい …続きを読む

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12月24日「目の前の大切な一人」

 先週の日曜日、コロナウィルスの影響によって3年間は教会に来ている子どもたちとだけ祝ってきたキッズクリスマスを、他の方々にも呼びかけて行うことができました。  今回、嬉しかったのは、近所の子どもたちがたくさん来てくれたこ …続きを読む

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12月17日「一つひとつ」

 アドヴェント第一週の礼拝後、教会でとれた柿―家内が干し柿にしたのを―礼拝出席者一同で、それはおいしくいただきました。ほかの方に御馳走できないのが残念でした。食べられなかった方は、来年…是非‼  教会の椅子が、幼いころの …続きを読む

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12月10日「生誕の平安」

 クリスマスが近づいてきました。生徒たちと大好きな映画を見ようと「マリア」を鑑賞しました。主のご降誕をマリア視点で追った作品で、冒頭に流れる「久しく待ちにし」を聞いて、一人の生徒が言いました。「これ、朝の礼拝で歌ったやつ …続きを読む

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12月3日「沖縄コーチング」

 沖縄におけるコーチング・ネットワークは今回で3回目でした。テーマは能力付与です。多くの教会や牧師が誤解してしまうのは、牧師の事務や教会の奉仕を人々にやってもらえば良いと思ってしまうことです。そうではなく、能力付与の元々 …続きを読む

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11月26日「名を挙げて祈る」

 先週の礼拝後、二回目の教会懇談会を開催しました。回を重ねるごとに、私たちの共同体の無くてはならない部分、これからも大事にしていきたいところが明らかになれば、と思っています。  また、福音を届けたい方々のお名前と状況を共 …続きを読む

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11月19日「主が用いる」

 コロナの騒動の中、刑務所教誨のクラスの定員が12名から6名に減ってしまいました。それは、緩和されてからも続いています。なんとか数が増えて欲しい、せめて元に戻って欲しいという祈りをいつもささげてきました。  先日の教誨の …続きを読む

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11月12日「柿を見て学ぶ」

 恥ずかしい話ですが、最近「宣教(説教)」をつくったり、話したりするのがとっても苦手になりました。礼拝が終わると、自己嫌悪を通り越し、頭を抱え込む日々です。  特に、コロナに罹患してから、そうなっている自分」に気づきまし …続きを読む

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11月5日「主に従うこと」

 先々週の祈祷会で分かち合ったのは次の御言葉でした。~主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)  テーマは孤独でした。そして、最後の質問は「あなたは今週、孤独を感じ …続きを読む

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10月29日「聖霊を受けた人」

 先週の刑務所教誨では、一番熱心に聖書を読み、主イエスを信じて洗礼を受けたいと願っておられた方との最後の交わりの時でした。  洗礼についての学びを通して、聖霊による洗礼を神ご自身から直接受けられるよう、キリストを信じて聖 …続きを読む

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10月22日「主の憐れみによって」

 先週の金曜日、東奥義塾の150周年記念式典で礼拝がささげられました。  岩住先生の聖書朗読は、いつも神の情熱が込められたかのような感動を呼ぶものですが、今回も同様でした。続いて、お祈りがささげられましたが、これまでの東 …続きを読む

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10月15日「偉大なみわざ」

 先週、家族で仙台に行ってまいりました。背後の祈りを心から感謝いたします。  まず、うみの杜水族館に行きましたが、神奈川県の八景島シーパラダイスなどの大きな水族館では、イルカのショーが終われば、さっさと裏に行ってしまうイ …続きを読む

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10月8日「どんな顔?」

 最近、歩きながら、人と話しながら、説教をつくりながら…、「今、自分はどんな顔をしているのだろう?」と考えることがよくあります。  そして、「しまった!やられた!」と思う日々です。しかし「後悔先に立たず」、「後の祭り」と …続きを読む

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10月1日「輝く姿」

 先週、刑務所教誨に行くと、職員の方が「先生、お願いがあるんですが…」と近づいてきました。「先生のクラスに、どうしても洗礼を受けたいと申している者がいまして」  とても嬉しい話でしたが、「外に出てから洗礼を受けるように、 …続きを読む

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