宣教
「疑いをもったまま」
ハバクク1:2〜4、ヘブライ4:14〜16
多くの信仰者が、「祈りは聞かれる」と口を揃えて言うのを私たちは知っています。時には、神がこたえてくださった素晴らしい体験を耳にします。では、「本当に祈りは聞かれますか?」このような質問を受けたとき、あなたは何と答えますか?
聖書は神が祈りを聞いてくださり、こたえてくださるメッセージで満ち溢れています。しかし、祈りがなかなか現実にならない時、私たちは疑念を抱きます。マルコ9章には、疑いを持つ父親を嘆きながらも、病の息子を癒やす主イエスの姿があります。疑念を抱くことは自然なことです。あなたの信仰はそれで十分なのです。
祈りが聞かれない時、どうか思い出して下さい。私たちが祈っているのは、「私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」(エフェソ3:20)だということを。そして、「私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)と告白されていることを。何よりも、疑いを含めて、あなたが主に愛されていることを。