156センチの視線
「夕暮れにも光」
25日、弘前西教会の礼拝を終わり、役員会を終え、浪岡伝道所の現礼拝堂で最後の礼拝と交わりを終えて、浪岡の新礼拝堂、牧師館に帰ってきた次の日の月曜日。朝から、まだまだ山ほど残っている作業を、賛美と感謝をしつつ続けていた午前11時半頃、留守番をしていた美祈子から電話があり、「Yさんのご家族の方がお出でになられ、Yさんがとても悪いので、ということで相談に来ておられます」とのこと。電話を代わり、浪岡から自宅にお伺いしました。
「父が以前から、何かあったら石川先生に全て頼んでいるからと言っておりましたので」とのこと。お話をして、「了解しました』とお伝えし、お祈りをしました。ご夫妻の目に涙がありました。
その後、直ちに、Yさんを病院のICUにお訪ねし、「明日、洗礼式をしますから」とお伝えすると、「ここでもいいんですか?」と、笑顔と涙の中でお祈りを捧げました。今日までの長い道のりを想いました。
28日(水)皆のお祈りに送られて、祈祷礼拝後、牛山牧師、康伝道師と共に病院に行き、「いつくしみ深き」を賛美し、洗礼式を執り行いました。そこには主ご自身がご臨在くださり栄光を仰ぎました。
25年を超える求道の生活でした。施設に移ってから、「わだし息子に教会に連れで行ってもらって洗礼受げすじゃ」と話していました。「夕暮れになっても光がある」(ゼカリヤ14:7)のです。ハレルヤ!