宣教

「悲しみは喜びへ」

            ヨハネ16:16~24
 「産みの苦しみ」という言葉をご存知でしょうか?ユダヤの人々は、現在と未来とを分けて考え、その中間に壮絶な苦しみの時が来ることを教え続けていました。その旧約聖書の信仰が語源となっているのが、「産みの苦しみ」です。
 主イエスは自らが十字架にかけられて処刑されること、その後に復活することを弟子たちに話し続けられましたが、弟子たちは理解できませんでした。罪を赦して病を癒し、嵐を鎮め、食物を増やし、死人さえよみがえらせる主イエスが、自らの命を救えないはずがないと考えたからです。しかし、主は十字架と復活を女性の出産にたとえ、悲しみが喜びに変わる時が「しばらくすると」やってくると約束しました。他の三つの福音書では、三日後に復活する、と具体的に言われていますが、なぜ、ここでは「しばらくすると」なのでしょうか?
 この「しばらくすると」という言葉には、人間の罪ゆえに見えなくなった神との関係の断絶を見ることができます。しかし、今や、イエス・キリストの十字架と復活に現された神の愛によって、不確かさは確かさへ、悲しみは喜びへと変えられたのです。