宣教

3月26日「イエス様の弟子になる」        

 マタイ28:18〜20
 主イエスの弟子になると聞いた時、私はいつも窮屈な思いになりました。「〜をしなければならない」ということが増えるのではないかと思ったからです。普段の生活でしていることに加えて、他にもやることが増えたら忙しくなる。こういう考え方です。みなさんはいかがでしょうか?
 主イエスが言う「弟子」というのは一体どういう人のことか。しかも、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じておられるのです。何をすればいいのか、どうすれば弟子なのか、今いち分からずに歩んできました。みなさんはいかがでしょうか?
 牧師として聖書のメッセージを取り次ぎながら、人と出会いながら、「主よ、これでいいのでしょうか?」という不安定な思いに縛られています。日々の生活の中で、どうしても聖書のことやキリストについての証を出来ずにいる自分に出会い、どうすればいいのか分からなくなる時があります。みなさんはいかがでしょうか?
 今日、私は「イエス様の弟子になる」ことができるのでしょうか?主に期待します。