宣教
5月14日「祝福を生きる祈り」
出エジプト33:15〜17 マタイ6:9〜14
キリスト教は「祈りの宗教」です。その祈りは、愛なる神への信頼であり応答です。故に、「愛より出で、愛によって保たれ、愛に向かって」行きます。教会もその祈りによって誕生しました(ペンテコステ)。「初めに言葉があった」その言葉は、キリストであり、キリストは愛でした。最初に神が「光あれ」と造られた「光」は、あらゆる存在を生かし給う、全存在の根拠である「愛」です。
「人間」というギリシャ語は、「顔を上に向ける存在」という意味で、神を信じる存在です。祈ることなくして、わたしたちは人間たりえません。人間は、祈りへと招かれている「神のかたち」です。存在の根源に向かうこと、「神が共におられる」恵みを生きるわたしたちです。そのようなわたしたちに、イエス様は「主の祈り」を教えてくださいました。
「御名が、御国が、御心が~」と神を求める祈りこそ、「人間が人間となり、わたしがわたしとなる」ための祈りです。ありとあらゆるものをかき集め、握ろうとする、欲望実現の神と他者排除の歩みから、赦しという「愛」を生きる祝福の歩みへの方向転換です。神なくして人間は人間たりえないのです。