宣教

8月20日「休ませてあげよう」

 イザヤ14:3 マタイ11:28〜30
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という主の御言葉は、どれほど多くの人々を慰め、救いに導いてきたか知れません。
 しかし、この御言葉に導かれ、教会に来ても重荷が取り除かれなかったり、取り除かれても再び重荷がやってきたりすると、教会から離れたり信仰を失っていくかもしれません。主はそのように約束を守らず、不誠実な方なのでしょうか?
 違います。主は決して重荷がなくなるとは言いませんでした。しかも、軛(くびき)を負いなさい、と新たな任務も加えています。これは、主が重荷を共に担ってくれる方であることを示し、さらに重荷を担いだまま、休めるようにしてあげよう、重荷を担いでいることも忘れるほどの祝福で満たそうと言っておられるのです。
 自分勝手に行動したい人にとっては、主の軛は重いものであり、重荷は方に食い込む労苦でしかありません。しかし、軛の隣で苦しまれる主の姿を目にした人々にとって、主の軛はキリストへと至る道であり、重荷は主と出会うための材料となるのです。