宣教
6月4日「水を汲むしもべに」
詩篇136:1〜3 ヨハネ2:1〜11
イエス様の最初の奇跡が、「結婚式」で「水をぶどう酒に変えた」出来事にユーモアが感じられます。イエス様のたたずまいに心が明るくなります。さすが、「見ろ、大食漢で大酒のみだ。徴税人や罪人の頭だ」(ルカ11:19)と言われるほどのことはあります。
固定化した宗教観、信仰の定式を打ち破る新鮮な息吹が感じられます。母マリアも、「ぶどう酒がなくなりました」の訴えを拒否されつつも、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と召使いに言っています。緊張ではなく平和が満ちます。
召使いが言われたとおりに、「水がめの縁まで水を満たした」のも見事です。「世話役がその葡萄酒をなめて不思議に思った」の記述に、神の業の奥義が見事に明らかにされます。そして、浪岡教会の!
1)主のもとに行く 2)主の言葉に従う 3)必要とされている処に運ぶ―その時、御業の驚きと出会います。おののいてはなりません。主の奇跡は、「はい!」と水を汲む僕によりもたらされます。
「御言葉を聞きて水を汲むただ人を 用いて進む宣教の業」 笑顔と共に主と共に、奇跡を通して。「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」と。