宣教
2月2日「神と人とのかくれんぼ」
ヨハネ12:35〜43
主イエスがもたらす数々の奇蹟的な出来事を目の当たりにし、その主から直接語られた人々も、救い主として受け入れようとは思わなかったようです。なぜでしょうか。
主が語られた「光の子として歩みなさい」という言葉は、彼らへの最後の訴えでもありました。しかし、彼らはその言葉を拒絶し、主は身を隠されました。
聖書は、人々が主を受け入れなかったのは預言のとおりであるとして、主が拒絶されることが以前から分かっていたことであると証言すると同時に、信じることができなかった理由は、彼らが神よりも人を恐れていたことを示しています。
もし、彼らが人ではなく、神の言葉とその力に信頼していたならば、主は立ち去らず、身を隠すこともなかったでしょう。神は我々といつも共にいる、という名の主が立ち去り、身を隠されるのは、どうしてなのでしょうか。主は隠れたいのでしょうか?
そうではありません。主は私たちに御言葉を、そして肉となった神の言葉、主イエスをくださいました。主は生きて、今もここにおられます。目も耳も、その主を理解できませんでした。ただ信仰だけが、その方の光を理解したのです。