156センチの視線

2月23日「愛に生きる」

 先週の月曜日、伯母が急に倒れ、そのまま召されました。かつて、共働きであった両親に代わって私や姉をいつも世話してくれていた方でもありました。
 結婚式には、遠くハワイまでいらしてくださり、私の子どもたちにも惜しみなくプレゼントを届け、つい先日、髪の毛の長くなった私を見て「かわいい!」と声をかけてくれる優しい方です。娘たちを聖公会の高校に入学させたり、私が牧師になったことを喜んでくれたり、とキリスト教にも深い理解を示してくれていた人でもありました。さらに、最高の美人でした!
 キリストに出会う以前から、私はこの伯父夫婦に人を愛することを教わってきました。この方々がいたからこそ、親戚関係は極めて良好で、祖父が亡くなった相続のときにも、皆が相続権を放棄して他の兄弟に譲ろうとするなど、自己犠牲の愛が形となって見える関係性でした。
 結局、キリストを信じること、洗礼を受けることはありませんでしたが、信じただけで愛のない私と比べて、何と愛に生きた人だったでしょうか。
 主はご自身を信じた結果として「互いに愛し合う」ことを教えられましたが、信じたと公言しつつも決して愛に生きない人と、ご自分をあまり知らなくても、身を削って愛に生きた人と、どちらを喜ばれるでしょうか。私は後者だと信じています。