宣教

4月19日「喜びを背負って」

 ルカ9:21〜27
 映画やドラマの中で、「この十字架を背負って生きていきます。」というような言い回しがあります。それは、ほとんどが苦しい過去や、本当はやりたくないことを仕方なくやるというニュアンスを含んでいます。これは果たして聖書的な言い回しでしょうか。
 主イエスは弟子たちを含む、すべての人々に「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と教えました。自分を捨てること、自分の十字架を背負うことは、何かしらストイックな修練の道を連想させます。しかし、救い主としての主イエスが、そのように招いておられるからには、その歩みこそがもっともいのちに近いのであり、神が人々に重苦しい荷物を手渡すようなものではないはずです。
 実際、「いつも喜んでいなさい。」の御言葉を体現していた主にとって、十字架は喜びでした。人が神からの使命を生きるとき、それは喜びなのです。もちろん、主ご自身がゲッセマネで見せたように、その道にも困難はあります。しかし、主が喜んだのは、十字架を背負うことではなく、あなたという十字架を背負うことでした。
 十字架を背負って生きること、それは「神が私たちを喜びとしてくださる」を生きることなのです。