宣教

5月8日「教会が教会に、私が私になる祈り」

詩編136:1~3  マタイ6:9~13
 牧師として歩む中で、本当に大事なことは何なのかを繰り返し考え続けています。イエス様は、「わたしが天から降って来たのは、自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハネ6:37)と言われました。ならば、わたしたちもまた、「わたしが地に在るのは、わたしを遣わされた主の御心を行うためです」ということができるはずです。この、「御心」を行うための源が、「主の祈り」と言うことえい出来ます。
 「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分です」(1コリ12:27)とあるとおりです。イエス様の教えてくださった祈りは、わたしたちの道標であるばかりではなく、そのように生きることへの招きです。この祈りは、「わたしたちの祈り」であるばかりでなく、「わたしたち」の祈りである ことをはっきりと明らかにしています。
 「天にいますわたしたちの父よ、御名が、御国が、御心が」、「われらの日毎の糧を…。われらに罪を…われらの罪をも赦し給え…」の祈りを、今一度心に刻むことが必要です。教会はこの祈りを2000年間祈り続けてきました。今こそ、主の祈りに生きるように招かれている私たちです。