宣教

9月11日「原点に帰って」

箴言1:7   1コリ1:18-33
 ユダヤ人の信仰であった聖書(旧約)が、今や、新約と共に、全世界の救いの出来事、信仰となったのは、イエス・キリストの十字架を通してでした。「ボタンの掛け違い」という言葉があります。最初のボタンを掛け違うと、最後には大きなゆがみとなります。直すためには、最初のボタンから始めて、すべてのボタンをはずさなくてはなりません。この第一ボタンこそ「神の愛、知恵たるキリスト」です。
わたしたちの知識(知恵)は、チリのような一片にすぎません。世界の知恵は、「初めに神は天地を創造された」出来事から始まります。「知恵の書」である箴言は、「主を畏れることは知恵の初め」、神こそ「全ての全ての第一原因である」と宣言します。
 今日の、人間の知恵や知識は、世界滅亡の予兆ですらある「核」の問題として浮上します。知恵とは、人間を生かし、平和を創造するものにして初めて「知恵」となるのではないのでしょうか。
 真の知恵-人間を生かし救う―を神様は教会託されました。逆説的に思えますが、「理解せんがため信じる」と言った、アンセルムスの言葉を思い出します。「神は愛である」の信の世界、「キリストは世界の平和」の宣言から始まる世界です。十字架という原点に立ち帰り、自らを整えるわたしたちです。