156センチの視線
10月16日「神にとっての当たり前」
先日、平川めぐみ教会の中村宣教師の家に、テホ先生ご家族と私たちの家族で訪問し、楽しい交わりと賛美の時を持ちました。
大阪にいたとき、それぞれの教会に若者が少ない、という意見を多数聞いていたこともあって、「では、若者たちを主体とした集会をしよう」と声をかけました。多くの若者が賛同してくれて、いよいよ集会が始まろうとするとき、仕えていた教会の主任牧師から「君がやろうとしていることは素晴らしいことだが、他の教会から『信徒泥棒』と言われるかもしれない。」と諭されました。私は生まれて初めて聞いた『信徒泥棒』という言葉に衝撃を受けました。
中村先生、テホ先生と福音を分かち合う中で、そのことを再確認しました。そして、一人ひとりが輝ける共同体を、その居場所として見つけられることを願いました。
ここ最近、聖霊が各地で同じようなビジョンを与えてくれています。ローマ式会員制度型教会を脱し、神の家族としての教会のチーム力を取り戻すために。
超教派とよく言われますが、私たち個々人もそれぞれの教義を持っているようなものです。超教派は特別ではなく、当たり前のこと。今、霊的な時代の変化の中にいることを実感します。 牛山