156センチの視線
10月8日「どんな顔?」
最近、歩きながら、人と話しながら、説教をつくりながら…、「今、自分はどんな顔をしているのだろう?」と考えることがよくあります。
そして、「しまった!やられた!」と思う日々です。しかし「後悔先に立たず」、「後の祭り」となってしまうこと度々です。同じ過ち、愚かしさを何度でも繰り返す自分がいます。
マルチン・ルターが、「神のことを思えば、神の顔を映し、悪魔のことを思えばその顔となる。」といった言葉を思いだし、「ドキッ!」とします。
顔はその人の「今」を映し出します。「せめて、天使の面影を宿すようになれたら!」との祈りと願いもむなしく」相変わらずの嘆きの中です。
この欄は、一週間にただ1回の、コラムなのに、悩みの種でもあり、大きなプレッシャーでもあります。新聞の4コマ漫画は毎日掲載されていますが、「すごい!」と、改めて感動しています。ずーと「朝日新聞」を読んでいますが、『サザエさん』『福ちゃん』『さんぺい』『ののちゃん』…。
それと共に、沢山の方々の労苦に支えられている「人々の労苦にあずかっている」自分を今一度知り感謝の時を与えられています。
せめて、わずかでも、「キリストの面影を、薫りを」と悪魔の嘲笑を聞きながら祈る日々です。 石川