156センチの視線

2月11日「始まりのとき」

 日々の生活の中で、「わたしは何をしているのだろう?」「わたしのしていることは意味があるのだろうか?」そして、「生きがいが見つからない!」という、魂の叫びが心の中をのたうち回ることはないでしょうか。
 「わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって『生きよ』といった。」(エゼキエル16:6)
 気が付いてみると、幼少の頃から、「生きがい」「生きる意味」について、悩んで来ていることに気づき、ドッキとしています。
 「生きがいがなければ生きちゃいけないのだろうか?」。「これが生きがい」という人たちを見て、「?!」と思う最近です。世界の指導者達を見て、「殺戮と粛清の生きがい」の中に歩んでいる姿に血が凍ります。
 聖書は言います。「生きよ!」と。イエス様が、「イエスは町や村を残らず回って~」御言葉を伝えたのは、「生きよ!」との、招きのためではなかったのではないでしょうか。
「生きがいのない人生は生きるに値しない!」とのサタンの誘いに乗らないことです。神様が命じる。「生きよ!」ここが始まりです! 石川