宣教

11月6日「天国のメモリー」

コヘレト3:11 ヨハネ11:25〜26
 人は必ず死を迎えます。そんな有限な存在でありながら、私たちの世界には「永遠」という言葉や、「無限」という言葉が存在します。さらに、クリスチャンであるなしに関わらず、多くの人々が天国という言葉を口にします。行って見たこともないのに!です。このような情報はいつ、誰から教わったのでしょうか?
 聖書は、神が永遠を思う心を人に与えたのだと教えています。なぜなら、神こそ天国を知る方であり、永遠の時を司る方だからです。神に創造された私たちは、設計者である神の叡智が結集された作品であり、その至る所に神に似たものとしての片鱗が残されているのです。
 弟の死に直面し、主イエスを前にして「承知しています」、「存じています」と繰り返す女性に、主は「信じるか?」と問います。聖書が語るように、私たちは神のなさることを見極めることはできません。しかし、主の示した十字架と復活が歴史的事実となった今。永遠、そして天国という目に見えないものを見えるようにしてくださった神の救いを信じること。それこそ、人の限られた知識を超えた、神の豊かさの世界を生きることなのです。