宣教

4月28日「与える信仰」

マルコ12:41〜44
 この聖書の時代、夫を失った女性は非常に貧しい暮らしを余儀なくされていました。誰かに養ってもらわなくては、食べていくことさえ難しかったのです。
 ある時、そんな女性が2つの銅貨を献金しました。これは日本円にすると200円位です。他の人たちはもっと多くの金額を入れていました。この女性はたった200円しか入れられなかったのですが、主イエスはその女性を賞賛しました。なぜでしょうか。
 他の人たちはあり余る中から少しだけを献げていたのですが、この女性はなんと生活費をすべて入れてしまったのだと主は言われたのです。この聖書の箇所は私たちに何を問いかけているのでしょうか。
 女性の全財産は、主をどうしたら殺すことができるだろうかと考える人々の手に渡ります。適切に使用されるはずもありません。このことは、献げるということが、権利につながるものではないことを教えてくれます。この点が税金などとは全く異なるのです。
 自分の生活をすべて主に献げていくことは、それがどう使われるかということ以上に、そのことにより、神が自分の人生にどのように介入してくださるかを知るチャンスなのです。
 この女性は、そのことにチャレンジし、実りを見てきた人だったのでしょう。