宣教

4月3日「天国に行く日」

ルカ23:32~43
 主イエスはその日、二人の犯罪人に挟まれて十字架の上にいました。これは、罪人と同列、という意味が込められていたのです。まさに、主は神でありながら、罪人の気持ちにさえ寄り添うお方であることが、人々の辱めを利用してなされた瞬間でした。
 当初は二人の犯罪人は主を侮辱していましたが、悔い改めに導かれた一人の犯罪人の姿が私たちに語りかけます。かつて、あなたは神、という言葉を聞くと嫌悪感さえ覚えたかもしれません。神に対する不満や嘲りを浴びせかけたかもしれません。むしろ、神を信じる人々に対する嘲りはそれ以上だったかもしれませんが。それでも、神を信じることをやめず、十字架の傷を受ける中で人々に仕える姿は、犯罪人の氷のような心を溶かすには十分だったのでしょう。この壮絶な”いじめ”の現場の中で、唯一、平和に生きようとされている方の姿は、その方の信じるものに興味を持たせるに十分だったのでしょう。犯罪人の一人は他の誰でもない、この傷ついた若い青年に自分自身を委ねる決意をするに至りました。それは、何の確証もない賭けのようなものだったかもしれません。
 彼の賭け、それは小さな信仰でしたが、彼の姿が私たちの信仰への歩みを確認するものとして、永遠に語り継がれる天国へのストーリーとなったのです。