156センチの視線
7月16日「教会が教会として」
先週は教誨師の総会で大阪に行ってまいりました。背後のお祈りを感謝いたします。
滞在中、ずっと阿倍野教会に滞在させていただきました。同志社時代の親友であり、阿倍野教会の牧師である山下壮起先生のご家族とは、久しぶりの再会でした。私たちの息子と同じ年の娘さんがいて、大きくなっていて、可愛く、そしてちょっぴりおマセになっていました。
ちょうど、アメリカのシカモア教会での働きを終えた後輩の石田求先生もいらしたので、毎晩、宣教について語り合う機会が与えられました。最近は子どもたちと9時前に寝る生活でしたが、久しぶりに夜中まで話し合い、まるで大学時代に戻ったかのようでした。
石田先生が分かち合ってくれた大学時代の友人の話はとても興味深いものでした。牧者として北海道に遣わされ、行く先々で救われる人々を増やし続けた方でしたが、最近になって牧師を辞めたということでした。そして、新たに事業を立ち上げ、人々や社会に貢献していると伺ったのです。その方が言っていたそうです。「神と人に仕えていない教会が多い。それは教会ではない。私はそんなところの世話がしたいのではない。神と人に仕えたいだけなのだ」と。
今、私たち自身の信仰が問われる時代なのだと感じました。