宣教

10月8日「人生最大の賭け」

列王記上8:27  エフェソ3:14~21  パスカルは39歳の若さで天に召されたが、彼の肉体は健やかなところは一箇所もないほどに信仰の弁証のために捧げつくされたという。彼が亡くなる時、身に着けていた服の襟の中に縫い付けられていた『覚え書き』には、彼の凝縮された人生のすべてが、短い文に示されています。最後には、「われ汝の御言葉を忘るることなからん。アーメン」と。
 哲学者にして、超一の科学者であった彼は、「我々は『神あり』と賭けるのか。『神無し』と賭けるのか?」
と問い、「勝利の道は、神あり」とすべきことに決着がついていると断言している。
 「わたしたちはすでに、人生という航路に船出してしまっている」のであり、先立ち給う「道であり、真理であり、命である」お方の御手の中にあることを受け入れ、人生の最重要課題「神あり」の恵みの前に立たされていることを知らなくてはならないと。
 わたしたちは「わたしたちの信仰」という独自な信仰を与えられているのではなく、恵みの現実、「主の祈り」、「使徒信条」を与えられています。
 パスカルは、「歓喜、歓喜、歓喜の涙」と告白します。わたしたちは、主によって、今も、「キリストを内に住まわせる」信仰により、いかなる時にも、共に生きる喜び、聖霊の恵み中にいるのです。