宣教

11月26日「賜物がないという賜物」

Iコリント12:12~26

 洗礼を受けてイエス様に結ばれたすべての人々はひとつのキリストの体に結ばれています。体の中の内蔵も様々な細胞も、わたしたちの体を守るために、生きるために必須の働きをします。パウロは「キリストの体にいらない部分等あろうか」と言います。故にキリストの体にある人が他の部分をいらない等ということはできません。だから教会で「おまえはいらない」という言葉は存在せず、むしろ「あなたがいる」と主はいってくださっていることを覚えたいのです。
 パウロは、体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要なのだと言います。できない、弱い、失敗ばかりする、才能がない、賜物がない、そのようなキリスト者がかえって必要なのです。それはできなくて、失敗して、弱くて才能がないものなのに、受け止められ、愛されていること世に証しすることができるからです。キリスト者は皆「できない者」として救われた者です。故にすべてのキリスト者が主の愛を示すことができるのです。