宣教
12月3日「御言葉による解放」
ヨハネ8:31~38
主イエスは、人々に御言葉の真理を解き明かしました。それは生活に根ざしたたとえ話を伴う場合が圧倒的に多かったのを考えてみても、ほとんどがシンプルであり、聞く人を行動に向かわせるチャレンジだったように思います。
日常生活における神との親密な交わりと、約束を伴うチャレンジを奪い去り、定められた儀式と化してしまった当時の信仰は、主によって再び人々の手に取り戻されたのでした。
互いに愛し合う、いつも喜ぶ、人を赦す、すべてのことに感謝する。それはどのように為されるのでしょう。そして、為された場合、もちろん、為されなかった場合も含めて、どのような実りを見ることができるのでしょうか。
主は「わたしの言葉にとどまるならば」と、ご自身を信じた人々に付け加えられました。そして、それこそが「あなたがたを自由にする」のだと。
あなたは主が与えてくださった、どの御言葉に、そしてその約束にチャレンジしますか。とどまるとはそういうことです。他の人が用いられた方法である必要は全くありません。あなたらしさが用いられている実感。そこにこそ、まことの自由があるのでしょう。