宣教

2月25日「存在を喜んでくださる神様」

ゼファニヤ3:16~17
 ジェームズ・フリーゼンという方が子供の健康な成長について次のように述べています。「子供は、生まれて2年ぐらいたつと、他者との関係において、悦びの対象となりたいと願うこと、つまり『誰かの瞳の輝きsparkles in someone’s eyes』となりたいとの欲求が芽生える。養育者(他者)の暖かい腕の中に飛び込む子供の顔を一瞥すれば、『誰かの瞳の輝き』でありたいとの欲求が、どれほど強いものかがわかるはずである。幼くて何もできない自分の存在自体が、養育者(他者)の悦びの対象であることが自覚される時に人生は、その子供にとって大きな意味を持つようになる。子供は、自分を無条件に受け入れてくれる他者と共にいる時、愛されているという悦びに幾度も繋がれたいと欲するようになる。すばらしいことに、幼い頃に得られたこの打算のない純粋な悦びは、生涯を通じて続く。自分を愛してくれる人々と共にあることを心から悦ぶ時、人生は意味を持ち前進するのである。」(内容拙訳)
 私たち一人ひとりの存在が、父(養育者)である神様との関係においても同じではないでしょうか?「イエス様を下さった神様が、あなたはOK! 」と言っておられるのです。だから私達は自分が自分であることを悦ぶことができるのです。