宣教
「賛美するために生まれた」
詩篇102:19 使徒16:25〜34
人が生きる目的は何か。これは難しい問いです。しかし、聖書は人の存在の目的をはっきりと宣言しています。「主を賛美するために民は創造された。」
その日、パウロとシラスは牢獄にいました。いわれのない迫害を受け、激しくムチで打たれた彼らは心身ともにボロボロだったはずです。しかし、牢獄の最深部で、彼らは悲観して嘆き悲しむのではなく、神を賛美していたというのです。
牢獄に閉じ込められたかのような暗く悲しい状況に陥った時、その境遇に悲観し、絶望してしまうかもしれません。しかし、神は人を悲観させるためではなく、神を賛美するために創造されたのです。人がその本来の目的を取り戻す時、神はその人の人生に介入し、奇蹟を起こし、他の人にも良い影響を与えます。それが賛美の力です。
さらに、賛美の力は自分たちのためだけではなく、周囲の人の境遇をも打ち破る力を持っています。神への賛美がなされるとき、牢獄の扉は開かれ、足かせが外され、自由が訪れます。もはや、そこは牢獄ではなく、逃げ出す必要もありません。賛美に満ちた人の姿が、そこに天国を描き出すのです。