156センチの視線
11月5日「主のように」
宣教前の周知事項として、宣教師から覚え書きをいただきました。そこには、現地の現状と宣教にとって妨げとなる行為の数々が書かれていました。それは、未伝地ミッション(教会もなく、信仰者もなく、聖書もなく、伝える人がいない場所)における重要なことだと感じました。
イエスの名前を叫びながら行進したある短期宣教チームのせいで、長い間積み重ねてきた現地の人々との関係が破壊され、一部の宣教師は取り調べの後、強制送還された地域も。また、部族そろってイエスを信じた人々が、短期宣教チームに促され、他の村へと入り、仏壇を前にして、偶像礼拝は罪だと叫んで、大切にしているものを破壊するなどして、「二度とキリスト教徒は村に入れるな」という禁止事項が村に行き渡ってしまっているところも。
主が今、その場所に来られたら何をするか。それを本当に大事にしたいと思わされました。特に、仏教しか知らず、それを守ることこそが最高の人生だと疑わない人々の中に入っていこうとする私たちは、彼らの信じているものの素晴らしさを尊重しつつ、それゆえに苦しまれていた人々を解放した主のように、寄り添いたいものです。
同じことが、1%以下の信仰者しかいない日本にも言えるのではないかと考えさせられました。