宣教

6月23日「癒やしの法則」

 出エジプト15:22〜27  フィリピ4:4〜7
 聖書には「喜びなさい」という命令が出てきます。実際に、周りを見渡してみると、喜べることばかりでしょうか。いえ、もしかしたら喜べないことのほうが多いかもしれません。それでは、なぜ聖書では喜ぶことを何度も命じておられるのでしょうか。イスラエルの人々の姿を見ながら、考えてみたいと思います。
 彼らは奴隷状態から解放され、神がおられることを体験しました。そして、神を信じたのです。しかし、依然として彼らの眼前には何もない荒野が拡がっており、水や食料に対する不安がいっぱいでした。ようやくたどり着いた水も、苦くて飲めませんでした。彼らの不満は爆発し、とても喜んでなどいられません。
 ところが、神がそこに法則をもたらすと、水は甘くなって飲めるようになったのです。苦い水が甘くなる法則は、神の側に用意されていたのです。それは一本の木でした。やがて、彼らはオアシスに導かれます。
 イスラエルの人々の姿は、時代を超えて私たちが永遠に変わることのない同じ愛の法則に置かれていることを教えているのです。
 喜べない状況で喜ぼうとする時、その根拠が必要です。そして、十字架と復活にこそ、永遠に変わることのない神の愛の法則であり、私たちの力の源です。