宣教
4月26日「神に属する恵み」
テトス2:11〜14
神の恵みが現れました。そして、神の恵みが〜と教えています。と聖書にあります。恵みとは何でしょうか。それは、まず神が私たちを愛して、主イエスを与え、十字架につけたことだと聖書は語ります。すなわち、神の一方的な愛のこと。それを恵みといいます。
また、神の恵みは私たちの生活に示されるようです。特に、不信心と現世的な欲望を捨てることを教えていますが、これは難しいと思いませんか。神は無理難題を押し付けて、私たちから自尊心を奪いたいのでしょうか。そうではありません。
主イエスが十字架にかかられたのは、私たちを「ご自分のものとして清める」ためだったとあります。不信心と現世的な欲望を捨て去ることは難しいでしょう。しかし、これは聖書の言葉であり、教えです。難しいからといって、守らなくても良いものではありません。ですから、挑戦する価値があるのです。
もし、主が与えてくださった一つひとつの御言葉に挑戦した時、あなたは自分がどれほど清くないかを知ることになるでしょう。そして、主がそんなあなたをどれほど愛しておられるかを深いところで理解するのです。恵みが、雨が降るように当然のことであった時が終わり、神との新たな関係がはじまります。