宣教

11月12日「赦しから始まる新生」

イザヤ35:1~2  ヨハネ9:1~12 イザヤ書35:1~「荒れ野と乾いた地とは楽しみ、砂漠は喜び花咲き、サフランのようにさかんに花咲き,かつ喜び楽しみかつ歌う」の歌は、聖書を貫く奇跡の生命線をよく現わしています。
 重度の障碍者施設と、養護学校で働いていた青年の時、「なぜですか?なぜ障碍を持った方が?」と、何度も問い尋ねました。人間の物差しでは決して理解できない事柄でした。
 大学での福祉の学びも、何の助けにもなりませんでした。悶々と日々を過ごす中に、この御言葉が飛び込んできました。決して承認できることではありませんが、全く新しい世界がそこに繰り広げられていきます。信仰によってのみ明らかにされる、驚きの世界が明らかにされていました。
 因果応報から全く解き放たれた世界がここにはありました。このことを確かめずにはいられませんでした。意を決して神学校に入りました。あれから55年の月日が経ちました。
 「なぜ?どうして?」の世界に引き戻されそうになりつつも、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」との宣言の中にいる私たちです。この驚きの宣言の中にわたしたちの人生も存在するのです。