156センチの視線

2023-02-19
2月19日「憐れみ深い主」

 猛烈な寒気や大雪など、騒がれていたほどの猛威を振るわず、例年通りの真冬だったのが、先週、何の前触れもなく今シーズン一番の積雪がありました。いつものように雪かきをするために早起きすると、教会と牧師館の間の雪を見て驚きました。と同時に、ため息が漏れました。ヒザ下までだったのです。
 幸いなことに、除雪機のお陰で体力的な消耗をほとんど感じることはありませんが、それゆえに精神的な負担に敏感です。特に、私のような外様は雪国での厳しい冬に毎年やられそうです。「こんな場所に一番最初に「住もう」って言った人は誰なんだ?」とつぶやいてしまいます。
 それはまるで、嵐に気付いて沈んでいくペトロのようです。主イエスを目線の先に捉えていた時、ペトロは湖の上を歩くという超自然的な祝福のうちにいました。そうありたいものですが、雪という名の嵐を前に、簡単に沈んでいく私はなんと忍耐のない人間なのかと頭を抱えます。そのことでどれほど盲目になっていることでしょう。主が見せたい景色を見ることができず、またしても損をしてしまった気分です。
 そんな私を「すぐに手を伸ばして引き上げて」くださる方。主の憐れみに導かれています。  牛山

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2023-02-12
2月12日「今、この時を」

 昨年にも勝るとも劣らない雪に、少々うんざり、というのが本音です。これほどになると、いい加減な除雪をされると腹が立ってきます。そうすると、わたしの雪片付けも思ったようにはうまくいかず、ますます不機嫌になっていきます。
 そんな時、フッツと渡辺和子シスターの言葉を思い出しました。シスターがアメリカの修道院に入って間もなくの時のことです。忙しい中、朝食の準備をしているとき、先輩の修道女に声をかけられます。「和子、あなたは何を考えて食器をおいていますか?」と。腹立たし気に、乱暴な配膳の姿に気づかせるためだったようです。「別に」と答えると、次のように言われます。
 「乱暴に置くことも、ここに座る人に祝福がありますようにと祈って置くこともできます。あなたは?」と。彼女は「ハッ」と気づきます。「今、この時を、どのように…⁉」過ごしていたかに。
 神様から与えられた「この時」とどのように出会っていくか、が信仰であり、生活であることを噛み締めました。1時間半の除雪のこの時が、祈りの時となるか、つぶやきと不平のサタンの支配下の時となるのか!?危ないあぶない!
 まだしばらく続く雪の時、祝福の祈りを積み重ねる時としたいと願い、祈っています。  石川

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2023-02-05
2月5日「YoutubeLiveへ」

 以前、コロナにかかった時に自宅でオンライン礼拝に出席しました。そこで示されたのは、ほとんど聞き取れないZoomでのオンライン礼拝の実情でした。
 これまで、そのことを知らず、ずっとオンライン礼拝で参加されている方々にご不便をおかけしてきました。
 Zoomは会議ツールであり、人の声を拾うためにAIが周囲の音を自動的に制御するシステムが入っています。そのため、特に賛美のときなどは音があっちこっち移動してほぼ聞こえず、司会やメッセンジャーの音も、ピンマイクの位置によっては聞きづらい状況でした。
 役員会ではこのことを重く捉え、YoutubeLiveへの移行を決めました。礼拝は限定公開となり、プライバシーは守られます。何よりも、Zoomとは比較にならないくらい音質が良くなるはずです。機器を追加しましたが、今まで購入したものがすべて活かされる環境になり、すべてを益とする神の御言葉の確かさを再確認しています。
 毎回、礼拝のURLをお伝えする手間は増えますが、ほとんど聞こえなかった礼拝の音質が改善することに比べれば微々たるものです。
 今まで忍耐して、それでも共に礼拝してくださった皆様に心からの敬意と感謝を表したいです。  牛山

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2023-01-29
1月29日「働きを終えて」

 先週の水曜日、妻の手術が無事に成功しました。子宮筋腫の摘出で、通常の4倍の大きさになっていたようです。たくさんの方々に祈られ、守られて、何よりも主が共にいてくださることで平安でした。
 待合室で待っていると、剛さんがお忙しい仕事の合間を縫って会いに来てくださり、雑談に付き合ってくださいました。およそ1時間も一緒にいてくださった後、「だいぶ遅いですね。ちょっと見に行ってこようかな?」と言い残し、席を立たれました。その後、お戻りになりませんでした。「何かあったのかな?」と、かえって不安になったのはご愛嬌。小さな者のそばに寄り添ってくださる剛さんの愛に触れました。
 摘出された子宮を写真で見せながら、担当医が丁寧に説明してくださいました。この先生は剛さんの同期であり、丞くんの出産にも立ち会ってくださった方でした。何という導き。
 写真を見ながら、愛する子どもたちが胎内で育まれてきた場所を眺めつつ、溢れんばかりの感謝に満たされていました。そして、意外に手術の写真を見ても平気な自分がいて、「今まで魚や肉を料理してきたことが役立ったのですね。主よ、感謝します。」とすべてを益にしてくださる神を賛美しました。
 たくさんのお祈り、お支え、交わりを心から感謝します。 牛山

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2023-01-22
1月22日「祈りの系譜」

 先週、水曜日に奥羽教区の財政検討会議に委員として出席してきました。少子高齢化などの社会的要因や信仰継承の難しさから、減少傾向にある教区財政に対して変化を求めるために、意気揚々と出かけていきました。
 会議の途中、長きにわたって教区事務所の働きを担ってこられた高橋さんが、私たちが問題として提示した部分を丁寧に、そして熱い思いを込めて解説してくださいました。もし、彼女の説明がなければ、会議はとても殺伐としたものになり、具体案が示されないまま消化不良で終わっていたことでしょう。しかし、これまでの経緯と歴代の財務担当者や議長たちが苦心して出された結論が根底にあったことを知ると、自分自身の不勉強を反省せざるを得なくなり、今まで教区に対して非協力的だったことを悔い改めることとなりました。
 ひとまず、教区内全教会のIT化を進めてはどうだろうかというひとまずの具体案が出て、その提案が常置委員会へ提出されました。
 もし、この意見が通っていくならば、それはIT化の技術担当、および相談窓口に自分がなっていくことを意味します。今度は非協力的ではなく、自分から提案したもの。その思いは主から与えられたものと信じます。 牛山

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2023-01-15
1月15日「キリストの体」

先日、突然に、現日本基督教団総会議長の雲然俊美(秋田桜教会)牧師から電話を頂いた。「何のことだろう?」と電話に出ると、『弘前西教会四〇年誌』に寄稿してくれた、笠原金吾牧師の言葉、「教会は、昔も今もキリストの身体である」を用いたいので了解を、とのことでした。勿論「よろこんで!」と返事しました。
 伝道者となって足掛け50年、伝道開始当時、奥羽教区議長であった笠原先生には本当にお世話になりました。事ある毎に、「イエス様だったら?」と問いつつ、「笠原先生だったらどのように?」の問いを重ね続けてきました。
 笠原先生は、教団を愛しておられ、「どのようにしたらキリストの身体を形成できるか?」を問い続けてこられました。その先生の弟子である雲然牧師が総会議長の重責を担うことになりました。
 笠原先生の祈りが聞き入れられたことを全身で感じました。そして今、教団も、「教会はキリストの身体」として新しい祈りを続けることになり、不思議な感動が身体を貫きました。
 「祈りは聞かれる!」の確信が与えられ、感謝が溢れました。教会のお一人お一人も…、祈りの実りであるとの喜びが全身を包みました。共なる祈りの祝福に包まれた御手の「寒」の津軽です。  石川

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2023-01-08
1月8日「新しい年に」

一年ぶりに帰省した川崎は、毎日天気に恵まれ、暖かな、それでいて乾燥した関東らしい気候でした。
 こうして毎年、親族で集まっているわけですが、私たちが子どもの頃からどんなに小さい子も、みんなの前に立って、昨年の出来事と今年の抱負を発表するのがしきたりです。年老いた親世代の声を総合すると、このような会は、企画するのも集まるのも大変なものだが、是非とも続けてほしいとのことでした。私はずいぶん前からその意見には大賛成です。
 会が進んで私たちの順番になり、家族4人で前に出ました。私は元旦礼拝の説教でも語らせていただいた神の言葉に従うと想像を超える出来事が起こる、という神様の計画に則ったダイエットのことを話しました。そして、「聖書は本当に素晴らしいものです。みなさんにもぜひ、読んでいただきたい!」と話すと、みんな大笑いしながら、うなずいてくれました。
 親族の皆さんは私がどれほど親に迷惑をかけてきたかよくご存じです。自分の身内である母を苦しめてきた息子です。そんなどうしようもない甥っ子を、優しい眼差しで見守り、真剣に聖書を勧める姿に喜んでくださる人々にただ感謝が溢れました。
 親族の中でクリスチャンは私以外にもう一人。さあ、今年は新たな弟子が生まれるでしょうか。楽しみです。  牛山

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2023-01-01
1月1日「神の導き」

 先週、弘前富士見教会のチャン先生ご夫妻がお子さんたちと一緒に遊びに来てくれました。チャン先生とは青森コーチングでお会いしてから本当に久しぶりで、たくさんのことを分かち合うことができました。
 最新技術が大好きなチャン先生から、VR技術の現在地と今後の展望などを伺って、韓国のIT技術の高さとデジタル化が遅れている日本の不便なところを教えていただきました。また、もちろんお互いの教会観や信仰について意見を交わし、同年代に主が見せてくださっている景色を共有することもできました。
 何よりも、普段は日中に仕事をしながら牧会していらっしゃる先生ご夫妻のご苦労と、どうしても教会の働きが肉体的な疲労によって十分にできなかった悔しさをお聞きしながら、自分たちが以下に恵まれているのかを思い知らされました。
 これから、チャン先生ご夫妻は主によって新たな導きが始まります。そこでは、牧会に集中できる環境があり、神の家族が待っているとのことでした。これから現在仕えている教会の方々にビジョンを共有するそうですが、きっと寂しいと思われる方々もおいででしょう。
 できることなら、もっとチャン先生ご夫妻とこの地で過ごしたかった。しかし、働き人を他の地域に送り出せる教会は幸いです。  牛山

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2022-12-25
12月25日「クリスマスプレゼント」

 前回の刑務所教誨は、私のコロナで中止になり、何とか皆さんと一緒にクリスマスをお祝いしたいという私の要望を施設側が受け入れてくださり、21日の水曜日に刑務所に行ってまいりました。
 早速、聖書を開いてクリスマスのストーリーを皆さんと読みながら、きらびやかで楽しげなクリスマスの裏にある、救い主の悲しい生まれについて語りました。すると、人々が救い主を拒絶した聖書の物語に、「クリスマスにそんな悲しい出来事があったんですね。」と新たな発見に驚いたご様子でした。
 新たな参加者も加わった今回の刑務所クリスマスでは、すべての人が拒否した救い主を、私たちは受け入れる、というテーマで聖書からメッセージをし、クリスマスの賛を歌いました。また、クリスマス前に感謝だったことを分かち合うと、「ずっと欲しかった聖書がついに手に入りました。先生がコロナで来られなくなって残念に思っていた時でしたから、とても偶然とは思えません。神様の存在を強く感じました。」とおっしゃった方がいました。そして、「福音書を読み始めたんですが、これはすごい本だと思いました。何度も何度も読んで、そのたびに新しい気付きが与えられるなんて、小説や普通の本とはやっぱり違いますね!」とのこと。その言葉が最高のクリスマスプレゼントでした。  牛山

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2022-12-18
12月18日「教会新時代」

 先週は牧師家庭がコロナ感染により、オンラインでの礼拝出席となりました。しかし、司式、説教者、機材担当者、奏楽者、そして当番の方々のお働きによって、祝福された礼拝でした。
 2016年から青森コーチングが開始され、自立した初代教会の姿を取り戻すために、みんなで協力し、祈り、導かれてきました。牧師不在時にも問題なく対処できる教会として、主が素晴らしい信仰の友、神の家族を与えてくださっていることを感謝します。
 来年度から、青森には牧師不在の教会が新たに二つ誕生します。牧師会では兼牧の可能性を探りましたが、物理的に難しいことが予想されます。しかし、この出来事は二つの教会にとって新たな出発の時となることでしょう。牧師頼みの教会形成から、万民祭司のキリストの教会へとかじを切るために、強制的に自立を迫られているからです。
 これまで、兼牧といえば、説教応援のことでした。しかし、幸いなことに、その教会にはすでにメッセンジャーが備えられていると言うではないですか。であるならば、兼牧とは、そのような方々が自信と誇りと、何よりも信仰をもって聖書の御言葉を取り次げるように励ますことではないでしょうか。
 今、この地に新しいことが始まろうとしています。 牛山

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2022-12-11
12月11日「数多のブラボー!」

6日(火)夕食を食べながら、テレビを観ていたら、『石川さゆり50年』の番組が。かねてから見事な歌い手だな、と思っていたのでチャンネルを変えず、引き込まれるように50分。
デビュー当時からの映像や、幼い頃の写真とエピソードで構成されたものでした。言葉にできない感動の時、学びの時、魂の揺さぶられる時となりました。それにしても「見事!」という以外の言葉が見つかりません。鍛えられた歌声に…
「それに比べてわたしは!」との思いに引きずり込まれそうになりましたが、かろうじて踏みとどまり、これからの歩みを考え、祈る良き時となりました。
ワールドカップ決勝トーナメントで惜しくもクロアチアにPK負けした日本チーム同様の、「すごい!」見事な生き様がそこには展開されていました。「一筋に生きる生き方、人々と共に生きようとする魂の叫び、たゆむことのない精進の姿」に涙が溢れました。
石川さゆりさんだけでない、一生懸命生きている!一人一人の叫びに出会う道が示されたように感じました。残り少なくなる生の日々、心を込めて、との思いが再度与えられ感謝でした。それにしても歌の上手いこと!また、『天使にラブソング』も今一度観ました!感動。ブラボー!   石川

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2022-12-04
12月4日「主の愛によって」

 先週の礼拝には長野県から海野紀美子先生をお招きして特別賛美をささげていただきました。さらに、西教会の方々の証に加えて、同じく長野からいらっしゃった高木さんも信仰の歩みを証ししてくださいました。
 礼拝後、鈴木さんの料亭で長野からいらした方々と、ジョイフルの皆さんとでお食事をしましたが、とても楽しい祝福の時となりました。特に、高木さんは本当にユーモアのある方で、その真剣な信仰ゆえに驚きの行動を取ったことが話題になりました。
 礼拝に来る前、私のところに海野先生から電話がありました。タクシーの運転手さんに代わると、場所が分からない様子でしたので、説明を開始しようとしたら我に返ったように「對馬商店の先ですね。」と言って電話を切ってしまいました。
 実は、タクシーに乗るやいなや、高木さんが運転手さんに「愛しています。」と言ったのです。運転手さんは気が動転してしまったのか、教会の場所がわからなくなったようでした。しかし、電話をかけて、男(私)が出ると我に返ったのでしょう。
 主の愛が人をつくりかえ、その人の愛が他の人にも影響を与えていく。神の愛は人を夢見心地にしてくれる甘美なものですね。 牛山

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2022-11-27
11月27日「キリストの香り」

 先週の火曜日、テホ先生と平川めぐみ教会の中村先生と3人で仙台に行ってきました。
 テホ先生は「日本のピザはピザではない。」と仰っていたので、「彼にコストコでアメリカのピザを食べさせてあげたい。」これが仙台行きの目的でした。
 しかし、問題がありました。コストコで買い物をするためにはメンバーズカードが必要です。すると、主が仙台の宣教師たちを遣わしてくれました。宣教師は3人で、スティーブン先生、そしてジョセフ先生とヴィクトリア先生の夫婦でした。彼らは忙しい中にもかかわらず、私たちとずっと一緒にいてくれました。それぞれが赤ちゃんを抱っこしながらです。赤ちゃんにとって買い物ほど退屈なことはないでしょう。しかし、彼らは赤ちゃんを上手にあやしながら、初めから終わりまで付き添ってくれたのです。
 「楽しかったよ」と笑顔で帰っていく姿を見ながら、私は彼らが主イエスのようだと感じていました。
 私たちと一緒にいる理由よりも、一緒にいなくてもいい理由のほうが多いはずです。しかし、彼らは私たちを見捨てず、楽しそうに一緒にいてくれたのです。そこには、確かな犠牲の愛がありました。  牛山

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2022-11-20
11月20日「Not religion but love」

 CCMN(セルチャーチ・ミッション・ネットワーク)のサミットがマレーシアで開かれ、300人近い人たちが参加しました。テーマはNot religion but love。その意味は、「宗教ではなく愛」です。
 日々、メディアが取り上げるカルト宗教の問題、家庭崩壊の問題、そこには宗教を愛し、家族や人々を愛さなくなってしまった人たちの姿が浮き彫りになっているように思います。
 主イエスの時代、人々はお決まりの宗教儀礼をこなし、それができない人々を罪人として郊外に追いやり、差別と貧困の中に置き去りにしていました。宗教が関心を寄せなかったそのような場所に主は自ら出向き、話を聞き、問題を解決するためにみわざを行われたのです。
 牧師、神学者、聖書学者にはごく一部の人しかなれませんが、主はおっしゃいました。「すべての人々を私の弟子にしなさい。」実のところ、神はすべての人を牧師や神学者にしたいのではなく、ご自身のように、他者に仕え、愛することができる人を求めておられるのです。
 CCMNのサミットの様子をうかがって、再びそのことを確認することができました。 牛山

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2022-11-20
11月13日「御手の中」

 もう11月も第二週!余りの月日の速さに目が回ってしまいそうです。昼、ウトウトするからでしょうか、相変わらず眠れない日が続きます。そんな中、孔子の次の言葉が浮かんできてますます眠れなくなりました。そんな中、孔子の「子日く、吾十有五学にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を…」ガクッです。
 77歳にしてますます思い煩うことの多くなっている自分に出会っています。若いころはもっとスッキリしていたような想いがあります。認めたくありませんが悲しい現実です。
 考えてみると、日本や世界を見ても、様々な権力に絡む汚職や倫理的問題が、年長者に顕著であることに改めて気づかされます。いま改めて、自らの心の底を探る必要を感じています。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(箴言4:23)の御言葉を噛み締めています。
 大切なのは、「加えることではなく捨てること」であると思い至ります。「一進一退ならぬ、一進二退」する眠れぬ夜を、祈るために備えられた時間と受け止めることにしました。「どんな時も御手の中」、「八〇を前に祈りの砦を」と!  石川

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2022-11-06
11月6日「御言葉とともに」

 先日、子どもたちのピアノの発表会がありました。
出番が近づくにつれて、子どもたちが「ドキドキする。」「緊張する。」と口々に伝えてくれました。息子は妻と一緒にお祈りをしていました。多くの人の前で発表をしたり、ミスができないような雰囲気の中で前に立つことはとても緊張するものです。私は「失敗しないように、と思えば思うほど緊張するよね。」と同情しつつ、自らの初めての礼拝での司会の役目を思い出していました。
 それは、母の葬儀の時でした。当時、神学校に通っていた私ですが、時々所属教会でメッセージするくらいで、知らない人のほうが多い中で前に立つことはありませんでしたから、とても緊張しましたし、何より自分の母の葬儀ですから、私の牧師の姿を見たことのない友人たちもたくさんいました。そんな中で、葬儀の前に古波津先生が「私もメッセージの前はいつも緊張しますが」と言ってイザヤ書の御言葉を分かち合ってくださり、共に祈ってくれました。
 「恐れることはない。」聖書全編を貫く神の力強い言葉が私を解放してくれたことを懐かしく思い出します。全くそうは見えないかもしれませんが、今でも人の前に出る時には緊張します。しかし、何があっても大丈夫。そんな主の平安がそれを上回っているだけなのです。 牛山

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2022-10-30
10月30日「アーメン!」

 先日、東奥義塾の朝の礼拝でメッセージを語り終わって「アーメン」と締めくくると、いつもは聞こえてこない「アーメン!」の大きな声が聞こえてきました。私は嬉しくて、「今日はとても『アーメン』が大きくて、すごく嬉しいです。」と語りかけ、礼拝を終わりました。
 東奥義塾に着任された、新しい宗教主事の岩住賢牧師は、授業や朝の礼拝において「アーメン」の声が小さい(もしくはほとんどない)ことに心を痛め、「アーメン運動」なるものを始められました。誰よりも大きな声で「アーメン」と応答する岩住先生の声と、生徒たちとの関係性が培われてきているのを感じます。
 先日、校内の廊下を岩住先生と二人で歩いていると、生徒たちが岩住先生に向かって、「先生!」ではなく、「アーメン!」と、名前を呼ぶように話しかけてくるのを目撃しました。彼はすでにアーメン先生という立場を手に入れているのです。
 もちろん、生徒たちはからかい半分だと思いますが、そんな生徒たちにも嬉しそうに接する先生の姿は主のようでした。しかも、それが着任早々であることを考えると、本当に素晴らしいことだと思います。
 主は岩住先生を通して、新しいことを始められました。アーメンのあとは何が起こるか、ワクワクします。 牛山

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2022-10-23
10月23日「待つこと」

 会堂に86インチの大型モニターが設置されました。これまで、暗所で使うプロジェクターを用いて礼拝のための賛美や聖書をスライドで映していましたが、光が弱く、明るい会堂の窓にスクリーンを下ろして暗くしていました。それでも、見えやすくなったかといえば疑問でした。
 役員会では、以前からプロジェクターを新調することを決めていましたが、メーカーに問い合わせたり、会堂内の距離を測ったり、壁の形状を考慮したり、と様々な検討を重ねてきました。しかし、担当者の方に言わせれば、「プロジェクターは、どんなに高価なものを導入しても、明るいところでは限界がある。」とのことでした。そこで、壁に液晶を設置するのはどうだろうか、と導かれたのです。
 かなり高価な投資でしたが、同価格のプロジェクターでは決して得られないクリアーな映像を提供できるようになりました。プロジェクターを新調する、から始まって、紆余曲折を経て、本当に良かったと思います。すぐに高価なプロジェクターに手を出していたら、きっと後悔していたことでしょう。
 聖書は待つことをとても大事にしています。今回は、1年以上前から祈り、方々に声をかけ、導きを得ることができました。落ち着いて少しみ声を待ってみる。これが功を奏したようです。  牛山

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2022-10-16
10月16日「神にとっての当たり前」

 先日、平川めぐみ教会の中村宣教師の家に、テホ先生ご家族と私たちの家族で訪問し、楽しい交わりと賛美の時を持ちました。
 大阪にいたとき、それぞれの教会に若者が少ない、という意見を多数聞いていたこともあって、「では、若者たちを主体とした集会をしよう」と声をかけました。多くの若者が賛同してくれて、いよいよ集会が始まろうとするとき、仕えていた教会の主任牧師から「君がやろうとしていることは素晴らしいことだが、他の教会から『信徒泥棒』と言われるかもしれない。」と諭されました。私は生まれて初めて聞いた『信徒泥棒』という言葉に衝撃を受けました。
 中村先生、テホ先生と福音を分かち合う中で、そのことを再確認しました。そして、一人ひとりが輝ける共同体を、その居場所として見つけられることを願いました。
 ここ最近、聖霊が各地で同じようなビジョンを与えてくれています。ローマ式会員制度型教会を脱し、神の家族としての教会のチーム力を取り戻すために。
 超教派とよく言われますが、私たち個々人もそれぞれの教義を持っているようなものです。超教派は特別ではなく、当たり前のこと。今、霊的な時代の変化の中にいることを実感します。  牛山

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2022-10-09
10月9日「神の家族のスタート」

 先週は、本当に久しぶりの、三年ぶりに聖餐式を執り行いました。また、新しい時に向けての教会の歩みを感謝しました。見える形での「主の贖いを」味わうことが出来ることは、言葉に尽くせない熱い思いが溢れてきます。
 イエス様がわたしのために、「肉を裂き、血を流してくださった」出来事を、この時代の只中にあって、確認することは教会の生命線です。主の御足の跡を辿るのが教会とわたしたち一人一人の使命であるからです。主がわたしたちのために命を捨ててくださったように、わたしたちも「兄弟たちのために、一粒の麦となって、生きるようにとの招きを受け止めるときとして、「主の記念」を生きるためです。注意を怠らずに、聖餐式を喜びつつ執り行なってまいりましょう。
 礼拝後の歓談の後に、出席者全員(13名)で、教会の墓地がある「花岡」に行ってきました。初めての方がほとんどで、浪岡の町が一望できる墓地で、喜びをもって賛美歌を歌い祈り、それは素敵な時を過ごすことが出来ました。
 浪岡教会「神の家族」の一体感を覚えて心が弾みました。教会のお墓にすでに花が飾られていました。西塚さんが、墓参の折手向けてくれたものでした。神の家族の新しいスタートの時です。  石川

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